方向寺 半僧坊とは
開山 :建徳2年(1371年)後醍醐天皇の皇子
文元選禅師によって開かれた寺
禅寺 :深奥山方広萬寿禅寺
名前 :臨済宗方広寺派大本山 方広寺(ほうこうじ)
場所 :〒431-2224 静岡県浜松市北区引佐町奥山1577-1 TEL 053-543-0003 FAX 053-543-0249
奥山の半僧坊
なぜ半僧坊とよばれるか
このお寺を開いた開山様が中国から帰るとき、嵐になった。あわや遭難と思われたところに、どこからともなく大きな異人が現れた。その異人があんぜんな方角を指示してくれたおかげで、無事に日本に帰ってこられた
開山様がたいそう感謝されて、その異人さんに「あなたは僧侶ではないが、仏法を守ってくれたことは半分僧侶だ」といわれて「半僧坊」となずけられた。
方向寺にお奉りされて、霊験あらたかで願い事がかなったり、よくよけによいからといって、遠くからの参拝者も多い。
壮絶な開山者の人生
文元選禅師とは
日本の96代天皇で南朝の初代天皇
後醍醐天皇の皇子
きわめて身分の高い人が開山した寺(いまの皇太子さま)
江戸の小石川療養所より300年も前に病院施設をつくる
食事の世話をし、患者に尽くす
文元選禅師略歴
1339年の翌年 京都の建仁寺で出家
雪村友梅禅師について修行
3年後中国に渡る
大覚寺の古梅正友禅師について7年修行
大変なご修行をされて印記をうける
京都、鎌倉など各地を行脚
父である後醍醐天皇の歴史を見てもらうと
壮絶な人生が推測できます。
後醍醐天皇
鎌倉幕府を足利尊氏
らとともに倒し天皇中心の政治「建武の新政」をおこなう
結果、武士に反発され足利尊氏に離反され敗れてしまう。
1336年室町幕府を開き
→南朝へ三種の神器とともに天皇を名乗る
南北朝時代(2人の天皇がいる)時代
1339年後醍醐天皇が吉野にて崩御
1392年南朝は降伏
方向寺・半僧坊拝観コース
アーケードを通って半僧坊へ
車で入っていけます。
黒門の前に駐車スペースがあるためそちらに
止めれます。私は半蔵坊周辺の無料駐車場にとめ歩いていきます、
黒門
出世弁財天(立札より)
宝永4年(1707)開創と伝える
享保11年(1726)に江戸に出て開帳
金山出世弁財天として定着し大繁盛
江戸百社弁天に列したのち
寛政4年(1792)に主宰した谷沢禅流寺と講中により
半僧坊にうつした
以来、半僧坊とともに方向寺鎮守としてまつられる
山門
額には「護国」と達筆な字で書かれている
高松宮宣仁親王(たかまつのみやのぶひとしんのう)筆
皇族のゆかりのお寺ということがわかります
延命半僧杉
パワースポットらしい
五百羅漢
そこらじゅうにあり独特の雰囲気をつくっています
哲学道の先には鳥居がみえます
椎河龍王(しいがりゅうおう):立札より
開山様が中国でのご修行を終えて帰国され行脚の途中浜松市天竜区のあたりで川を渡ろうとされた際、たまたま暴風雨のあとで増水し、渡河に難儀をされた。このとき、龍神があらわれてその身を橋として開山様をお渡ししたという
その龍神は開山様がこの方向寺にはいられたあと、また姿を現して「どうぞ、皇子禅師ののお徳で、この忌まわしい蛇身(じゃしん)の苦しみから解脱させてくださいと懇願、開山様が経典をよんでなでられたところたちまち5百年の苦しみから脱して昇天した。
*九字切をしたところ、なにやら飛んでいきました
三重塔
大正12年京都山口玄洞氏の寄進により建立
ちょっとアスファルトの坂道をあるくとあります
途中の景色は最高です
三重塔より見える景色
半僧坊真殿
鎮守半僧坊大権現をお祭りしています。
厄除けとか、お願いとかはここ
上り龍、下り龍 一本の木で彫ってます
内部
*無料です
大本堂にはいっていきます
わびさび、豪華さが同居しています。
釈迦三尊像
子安地蔵
大黒天様など
いかがでしたでしょうか
正直、不思議空間でしたが
歴史を紐解いていくとなるほど意味がわかりました
皇子が開いたお寺で
中国の禅の思想が混在しています。
鎌倉時代に開かれた禅の一つ臨済宗がもとになっています。
鎌倉時代は武士の時代で、自分の力で悟りを開くというものです。
神様や、仏様という偶像崇拝は排除しています。
にもかかわらず、弁財天があったり、五百羅漢があったりします。
その理由は後述するかんながらという本に書かれています。
弁財天が祭ってある大弁財天は宇宙の根源エネルギーの象徴
言葉では言い表せない→感応するしかない存在
その後、歴第の思想がおりかさなり現在の様子になっています。
そもそも、後醍醐天皇も天照大神を祖先としています。
とうぜん皇子もそうなります。
神社、仏閣、宇宙神など混然とした印象は歴史によるものです。
ちなみに
わたしがこちらにお邪魔したのはかんながらという本
に導かれてのことです。阿部敏郎著
この本では悟りを開くということを鍵にたとえて、著者がその境地にいたる過程
で第3のカギをこの方向寺で体得します。
霊験あらたか・厄除け
私事ですが後厄の厄除けでこちらに伺いました。
厄年は毎年厄はらいをしていたのですが、厄年は飛躍の年だと
強気で乗り切ろうと思っていたところ
前厄では、詐欺被害に合い
本厄では、交通事故にあってトラックの荷台をだめにしました。
やばいなと思い後厄では方向寺にお伺いし厄払いしてもらいました。
結果的によかったです。
大きな事故はなかったし、途切れていた縁が回復した年になり現在の活動の種になった年になりました。
今回は3回目になりましたが、歴史を知っているといないのでは面白さが全く違うので
ちょっと調べてみてもいいかと思いました。
面白いお寺
霊験あらたか
厄除け
中国っぽい
天皇の皇子が開山
そんなイメージがなるほどそういうことか思うようになりました。
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